文書館のお知らせ
古文書初級解読講座(夏季)を開催します
古文書初級解読講座(夏季)を、新潟県民の皆様を対象に2コースにわけて開催します。
Aコースは、6月25日(水)、7月2日(水) 、Bコースは、6月27日(金)、7月4日(金)で各コースとも同内容で2日間の開催となります。
内容は、「近世文書を読み解く」をテーマに、所蔵文書を題材にくずし字(筆文字)の判読や当時の歴史的背景の解説を交えながら、その文書に書かれた内容を解読することを通じて、「文書等」の保存・活用の意義について理解向上を図ることを目指します(R7初級解読講座(夏季)ポスター.pdf)。
県民の皆様のご参加をお待ちしております。
※会場:県立文書館 大研修室
※日程:各日とも 13:00~13:30 受付 13:30~15:30 講座
【お申し込み方法】
Eメール・FAX・電話及び来館によりお申し込みください。
お申込みの際は、お名前(ふりがな)、電話番号(連絡先)をお伝えください。
※講座申込みの受付時間は、午前9時 30 分から午後5時までです。
※先着順で、定員は45名です。
【受講料】
受講料は無料です。ただし、初回に資料代として100円をご負担いただきます。
当日受付で資料を受け取られる際にお支払いください。
【お申込み受付期間】
令和7年5月20日(火)~ 6月 24日(火)
(6月9日から16日は特別整理期間で休館です。この間は来館でのお申し込みはできませんので、ご注意ください。)
【お申込み・お問い合わせ先】
新潟県立文書館
●住所:新潟市中央区女池南 3-1-2
●電話:025-284-6011
古文書輪読会を開催します
令和7年度の古文書輪読会を開催します。
「江戸時代の日記を読む(頚城郡田村組大肝煎笠原家文書「天保十年 公私日暦」)」をテーマ・題材とし、月に1回のペースで計8回にわたって、江戸時代の日記を輪読します。講座受講を通じて、主体的な解読演習を通して古文書解読力の向上を目指すとともに、地域レベルの指導者養成を目指します(R7古文書輪読会ポスター.pdf)。
ある程度の古文書解読経験がある方、完走する意欲がある方を対象とします(定員20名)。
県民の皆様のご参加をお待ちしております。
※会場:県立文書館 大研修室
※日程:各日とも 13:00~13:30 受付 13:30~15:30 講座
※期日:令和7年6月17日(火)、7月16日(水)、8月20日(水)、10月8日(水)、11月19日(水)、12月17日(水)、
令和8年1月14日(水)、2月25日(水)(全8回)
【お申し込み方法】
電話もしくは、来館にてお申し込みください。古文書解読経験の有無などお知らせください。
※講座申込みの受付時間は、午前9時 30 分から午後5時までです。
※先着順で、定員は20名です。
【お申込み受付期間】
令和7年5月20日(火)~ 6月13日(金)
(6月9日~13日は特別整理期間休館のため、電話による受付のみとなります。)
【受講料その他】
受講料は無料です。ただし、初回に資料代として500円をご負担いただきます。
当日受付で資料を受け取られる際にお支払いください。
鉛筆、消しゴム、くずし字辞典(お持ちであれば)をご用意ください。
【お申込み・お問い合わせ先】
新潟県立文書館
●住所:新潟市中央区女池南 3-1-2
●電話:025-284-6011
はじめての古文書講座(春季)の受講者数が定員に達しました(お礼)。
令和7年度の「はじめての古文書講座(春季)」にお申し込みをいただきありがとうございました。
おかげさまで定員となりました。
次回の「はじめての古文書講座」は、秋季に開催する予定です(11/13(木)・20(木)・27(木))。
受講の申し込み受付の開始は、10/10(金)です。ホームページでもご案内いたします。
受講ご希望の場合は、10/10(金)以降に文書館までお申し込みください。
「新潟文化物語」に当館所蔵の”お宝”が紹介されました
県文化課では、県内各地に根付いた魅力的な文化をポータルサイト「新潟文化物語」を通して発信しています。
その中の特集「新潟の美術館・博物館にある「お宝」」に、当館所蔵の「まいにちひらがなしんぶんし」(請求記号 E9124)が紹介されています。
この春、県内の美術館・博物館のお宝を見学する、小旅行はいかがでしょうか。
「まいにちひらがなしんぶんし」は閲覧が可能ですので、当館にお立ちよりの際はぜひご覧ください。
*くわしくはこちら
越後佐渡ヒストリア第107話を掲載しました
現在までよく残っている古文書の1つに借金証文があります。借金証文には借金の理由や担保物件などが記載されており、そこから人々の暮らしを垣間見ることもできます。第107話では、文書館所蔵の借金証文を取り上げます。
今に残る借金証文を通して、江戸から明治期における人々の暮らしをみていきましょう。
*「ヒストリア」第107話はこちら
「文書館だより」第42号を作成しました
「文書館だより」第42号を作成しました。
今号では、2024年に寄贈された「益田孝関係資料」について取り上げます。
益田孝(1848~1938)は、佐渡生まれの実業家。優秀な役人であった父・鷹之助の昇進に伴い箱館、江戸で生活。ヘボン塾で学び、米国公使館勤務の際に公使ハリスに接しました。1863年、わずか15歳で遣欧使節団に随行、帰国後は幕府騎兵隊の指揮官に就任しました。維新後は輸出商に転じ、井上馨の知己を得て貨幣制度や先収会社の設立に寄与。1876年、先収会社を改組して三井物産を設立し社長に就任しました。その後、三井財閥内部の権力闘争を経て実権を握ると、藩閥や学閥といったしがらみにとらわれない人事で団琢磨ら新進を抜擢し、三井発展の礎を築きました。
「文書館だより」では、益田孝の残した書簡のうち、「明治名士手紙」の一部を翻刻、訳したものを紹介しております。ぜひご覧ください。
*「文書館だより」第42号はこちら →第42号.pdf
4月1日から開館時間を変更します
令和7年4月1日(月)より、新潟県立文書館の開館時間は以下の通りとなります。
これからも当館をよろしくお願いします。
≪開館時間≫
火~日曜日 9:30~17:00
*祝日・振替休日で開館した月曜の翌平日は休館します。
第2回歴史講演会を開催しました(御礼)
県立文書館では、3月1日(土)、講師に安宅俊介先生をお招きし、第2回歴史講演会を開催しました。
「廻船問屋と対立する人々 -近世新潟町の諸相ー」と題し、江戸から明治にかけて新潟町に暮らした人々の実態を、廻船や鮭漁に関わる多様な逸話を交えて、生き生きと紹介していただきました。当日寄せられたたくさんの感想と質問のうち、その一部を以下に紹介します。
≪質問≫ *安宅先生に回答していただきました。
「鳥屋野祭り(4月25日)の資料を閲覧したいのですが、ありますか。」
⇒残念ながら「鳥屋野祭」(鳥屋野詣り)について。新潟市歴史博物館には現物の史料の所蔵はありません。
例えば『新潟市合併町村の歴史 第4巻 (中蒲原郡から合併した町村の歴史 下 鳥屋野・石山・曽野木・両川・大江山)』552頁によれば「鳥屋野祭 25日。鳥屋野の親鸞聖人をまつる西方寺の鳥屋野祭は盛大なもので、近郷近在の人が大勢お参りした(以下略)」等と説明があります。
また『新潟新聞』事に短い記事ですが掲載があるようです。
例えば『新潟新聞』を集成した『新潟市合併町村の歴史 基礎史料集 4 (新潟新聞 明治編 下)』23頁に掲載された「雑報」に「◯鳥屋野祭 例年の通り今廿五日は親鸞上人の旧跡なる鳥屋野祭なれば天気の模様に依り定めて賑ふとなるべし」(明治27年4月25日)とあります(他『新潟市合併町村の歴史 基礎史料集 3 (新潟新聞 明治編 上)』613頁にも掲載あり)。
「町人の他に百姓はどれくらい住んでいたか。畑の広さ?作物?なども知りたい。」
⇒講座でお話した頃、江戸時代後半、新潟町で農業に専従していた人(あるいは小作人)が全体で何人いたのかという点はわかりませんでした。耕作地は、町域の信濃川の川べり、島などや、海側の浜と町の間(寄居側など)に点在していたようです。作物は、新潟町の史料のなかで頻繁に「田畑」という表現が出てくることから、少なくとも稲作、畑作は行っていたようです。畑については、例えば弘化3年の町内の三献茶屋というあたりの畑に関する史料(新潟町会所文書338、新潟市歴史博物館)があり、それによれば大豆が作られていたことがわかります。
信濃川側の耕作地については、たとえば弘化2年の「町方請島々野永取立帳」(町会所336)という史料があります。それによると「代官島」「水島」「榛木島」「秣島」などに合計約45町ほどの畑があったようです。この史料、末尾の文章(「右は町方請御願済之上私共小作ニ被仰付……(中略)御請証文差上申候処如件」)の後の差出人には「仁四郎」以下合計で35人の名前が記されています。このあたりの代表的な作物は梨だったようです。
また、たとえば嘉永元年から4年までの間に、寄居白山外新田内に新潟町(「新潟浜村」)所持の耕作地ができたようです(新潟奉行川村修就関係資料165、新潟市歴史博物館)。この史料によれば以前は耕作地だった荒地を再び起し返した耕作地が6町程、空き地だった場所を新たに開発した場所が18町程とあります。こちら側、川べりとは異なり海風による「飛砂害」、それによる埋没という難点がありました。このように耕作地は、時期によって増減があるようです。
また、特に浜手側には、天保3年に渋柿を植えようとしている史料(町会所315)や、あるいは飛砂害に対する「砂除」の一環で桑、楮、栗、桃などを植えようと計画した絵図などが残っています。
「幕末に開港した5港のうち、新潟が発展しなかった理由は。」
⇒新潟港は開港五港の中では貿易量が少ない所でした。港として水深が浅く、大型船は利用しづらかったこと、冬季に海が荒れることがありました。また大型船が利用可能な近代的な埠頭など、港湾整備も大正期まで待たなければなりませんでした。
この他、他の開港場所と比較した場合、貿易品(外国向けの有力商品、例えば生糸など)があまり無かったことが理由として挙げられるようです。
その後、現代に至る各都市の差異は長い時間をかけて、周辺の環境をはじめ無数の要因が大変複雑に関係した結果によって生じたものであると思いますので、少なくとも私には簡単に申し上げることができません。
(なお、現在の新潟市が発展しているか否かは、どういったことを尺度にするか、によって変わってくるものと思いますが、現在、本州日本海側唯一の政令都市であるという点から見れば、やはり開港五港の一つとなったことは、新潟市にとって大きなことだったのではないかと思っています。)
≪感想≫
・自分の育った地域がテーマで、先祖の生き様を知ることができて良かった。今後もこのような講演会をよろしくお願いします。
・新潟町は廻船の利益で繁盛していると、当時の人々が思っていたのが面白かった。先生の、「新潟は廻船ファーストの町」というフレーズが自分的には刺さりました!
・信濃川の流域の変化や、(それに伴う)堀、港の変化なども知りたい。
古文書輪読会を実施しました(御礼)
文書館では、古文書輪読会を開催しました。
月に1回のペースで計8回にわたって、江戸時代の日記を輪読しました。
(6・7・8・10・11・12・1・2月の計8回実施。)
古文書解読経験のある参加者同士で文字と内容を検討し合うことで、古文書解読能力の上達を目指しました。
今年度のテキストは、江戸時代の頸城郡田村組大庄屋を務めた笠原文右衛門の日記『公私日暦』でした。
*『公私日暦』(天保十年正月(請求記号 E2307-23))は閲覧できますので、機会がありましたら当館にぜひ足をお運びください!
【輪読会の様子】
受講者が自力で古文書を解読し、交代で発表し合いました。
江戸時代の村のあり方について、受講者と講師で「実態はこうだったのでは?」と意見が交わされ、活発な雰囲気でした。
【受講された方の感想(一部)】*遠方からもご参加いただき、ありがとうございました!
・江戸時代の大庄屋の実情、実態が良く分かってきて、とても勉強になりました。
読解は難しく、相当勉強しないと満足するレベルに達することはできないなと感じました。
「三人寄れば文殊の知恵」とすべく、グループ検討の場(班学習)の時間がもっとあれば良かったと思います。
・楽しく学んだ輪読会でした。考えたことを気軽に発言できることはとても良いことだと思います。
・月に2回でも良いです!
文書館講座を開催しました(御礼)
文書館講座を以下の日程で開催しました。今年度は、希望者多数のため、会場を大研修室からホールに急きょ変更して開催しました。(受講者の皆様におかれましては急な変更にご対応くださり、誠にありがとうございました。)
寄せられた感想のうち、一部ではありますが以下に紹介します。
当館では今後も様々な講座を開催してまいりますので、ぜひご参加ください。
≪期日≫ 令和7年1月29日(水)13:30~15:30
≪会場≫ 県立文書館1階ホール
≪演題≫「在来線からたどる新潟県鉄道のあゆみ」
講師:山沢拓見(県立文書館会計年度任用職員)
*感想の中から一部を紹介します。
鉄道にまつわる貴重な体験をお書きいただいた皆様、誠にありがとうございました。
今後の活動の参考にしてまいります。
「新潟県の鉄道の始めは新津だとばかり思っていました。直江津がなぜ最初のポイントになったのか、有力者の存在と地の利の良さが要因だと知り、納得がいきました。個人的に、羽越線は高校時代に通学で利用したので、成立のいきさつを知り、とても感慨深いものがあります。今回紹介されなかった他の路線についても機会があれば聴講したいと思います。ありがとうございました。」
「新潟の鉄道のことをとても楽しく学ばせていただきました。白新線の由来、納得しました。」
「米坂線や、赤谷線のことも聞きたいです。もし、今後機会があったらテーマにお願いしたいです。」
「通勤に信越線を利用しています。日常的に接している「モノ」である電車にも、日本の近代化にまつわる歴史があり、暮らしを豊かにしようとした有名無名の人々のドラマがあったのですね。そうした歴史の延長線上に今の私がいるのだなあと実感しました。今後は、少子化などで地方自治体の維持が難しくなる中で、廃止される路線も増えるのでしょう…。複雑な思いですが、では今の自分にできることは何かなあと考えるきっかけにもなりました。ありがとうございました。」